宮古上布とは?書籍では分からない宮古上布の歴史・特徴・素材

宮古上布とは?書籍では分からない宮古上布の歴史・特徴・素材

日本の三大上布といえば「宮古上布」「越後上布」「近江上布」があげられます。

三大上布の中でも「宮古上布」「越後上布」は生産数も少なく貴重なことから超高級品として扱われ、憧れの上布です。

今回は、琉球染織紀行展で書籍には載っていない宮古上布に関するお話を聞くことができたので綴ってみました。

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宮古上布とは?

宮古上布の歴史

琉球王朝時代に王朝の貢納布制度(年貢布制度・人頭税)により、染織品が収められていまた。

この貢納布制度(年貢布制度・人頭税)よる役人の厳しい監視のもとで、美しい上布が作られようになりました。

島単位の住民の人数で年貢布の量が決められていて、その基準となるの「人頭税石」でした。

140㎝の基準の「人頭税石」よりも身長が大きければ、年貢を納める頭数に入ることになっていたそうです。

働けない老人も140㎝の基準を満たせば年貢を課せられることになるので、島としては少しでも負担を減らすために、「人減らし」を行ったそうです。

この「人減らし」は老人だけが対象ではなく、若い層、妊婦も含まれていたということなので驚きました。

この年貢布制度による税の締め付けは、耐え難いもだったそうで、明治政府に訴えるまでの明治36年まで続いていたそうです。

宮古上布の素材・特徴

苧麻の手積み糸を用いて植物染料で絣糸を染め手織りをして、仕上げに木槌で布をたたく「砧打ち」をしたものをいいます。

大きく分けて 5 つの行程 に分業されていて、各工程にそれぞれ職人がいます。

「糸績み」「絣締め」「染色」「織り」「砧打ち」の工程に分業されています。

上布というと、麻織物のことを示すと思っていましたが、もともとはそうではないそうです。

琉球王朝時代に琉球で織られた織物の品質を素材に関係なく、上、中、下の3段階に分けており、上布(じょうふ)、中布(ちゅうふ)、下布(かふ)と呼んでいたそうです。

経糸が品質の基準になっていて、反物巾に対して、上布は1200本、中布は1000本、下布は800本の経糸が用いられていました。

本数が多いほど細くて繊細な糸を用いるので、薄くてしなやか、軽い織物ができることになります。

苧麻は長さ40㎝から60㎝ほどの長さしかないので、細かく裂いた苧麻を撚りながら紡いで1本の糸にしていきます。

その撚り方が面白いのですが、芭蕉布のように結ぶのではなく、先を揃えて撚りあわせ、開いて1本にした状態で、更に重なり部分を撚りあわせていくのだそうです。

なので宮古上布には芭蕉布のような結び目による節がありません。

この「糸績み」は高度な技術が必要で、出来る人がいなくなってきているのだそうです。

また、宮古上布といえば、あの独特の光沢感が有名ですよね。

最後の「砧打ち」により、蝋を引いたような独特の光沢感と軽くひんやりとした地風が完成します。

反物の宮古上布を初めて見たときは、蝋引きの光沢により、一見、布ではなく紙のように感じたのを覚えています。

この「砧打ち」の光沢は、着用と共に徐々になくなっていくのですが、再び「砧打ち」をすることで光沢は甦ります。

しかし、この「砧打ち」を出来る人がいなくなっているということです。

宮古上布の生産量

現在、宮古上布を織っている方は10人ほどしかいらっしゃらないそうです。

年間生産量は7反です。

「糸績み」をできる人が少ないため、必然的に着物の着尺や帯の生産量は減少しています。

琉球染織紀行展での芭蕉布については、こちらをご覧ください!

芭蕉布の特徴や見分け方!琉球染織紀行展での平良敏子さんの喜如嘉の芭蕉布作品展

沖縄琉球紅型に関する記事もあわせてご覧ください!

沖縄琉球紅型・首里琉染

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