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御所解文様とは 御所解文様 江戸解文様 茶屋辻の違いや見分け方

「御所解文様」の鼠紫色地の訪問着

「御所解文様」は、フォーマルの着物の装いの定番として長く愛されてきた文様の1つに挙げられます。

「御所解文様」は、江戸時代後期頃、御殿女中に好まれたこととあり、更に現在に生きる女性にとっても雅やかなイメージの世界を感じることが出来る魅力的な文様です。

 

私にとっても着物を好きになって間もなくの頃から現在に至るまで、いつも心の中に存在している文様だといえます。

今回は「御所解文様」と「江戸解文様」の違いや、この2つの文様の「言葉と意匠」の捻じれについて、また、同じ風景文様である「茶屋辻」との違いについてまとめてみました。

 

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風景文様の1つの「御所解文様」「江戸解文様」「茶屋辻」

「御所解文様」「江戸解文様」「茶屋辻」は、流水や家屋、草花などを取り合わせて風景のように構成し、あたかも一幅の絵を着物の中に見るような贅沢さを感じることが出来る文様のひとつです。

素描きや友禅染の糊の白上げで表現されることが多く、描写力に加え糊置きの技術が必要となり、作り手の力量が要求される文様と言われています。

主に留袖や訪問着等の格調高い文様として用いられています。

御所解文様とは

「御所解文様」の鼠紫色地の訪問着

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縮緬地に地色が鼠紫色地の「御所解文様」の訪問着です。

松や竹、梅、菊、杜若、流水、架け橋、枝折戸などが描かれています。

特別何かを表した意匠ではないようだけど、何かあるのかな?

「御所解文様」とは、江戸時代中期から後期にかけて、上級武士や公家の女性の小袖の意匠に好まれた風景模様をいいます。

武家の女性達が江戸城などでの公務や日常に着用した小袖には、類型的な同じような形式の風景模様が用いられています。

そのような画一的な風景模様のことを「御所解文様」といいます。

明治以降に御殿女中の着物を解いて流通させたということから「御所解」という名称になったといわれています。

御所解文様の特徴

摺疋田や白上げ、刺繍などの技法が用いられています。

四季の草花や樹木、家屋などが含まれた近景、中景、遠景の風景に、御所車や几帳などの器物のモチーフを配している場合が多く、器物のモチーフにより源氏物語を表現する場合もあります。

器物を用いて古典文学の一場面を想起させる意匠の形式を「文芸意匠」といいます。

「御所解文様」は、風景模様でありながら「文芸意匠」である点が大きな特徴になります。

主に王朝文学や能などの演目内容が文芸意匠に用いられ、着用者、鑑賞者ともにモチーフからその内容を汲み取ることが出来る教養の高さが必要になります。

身に纏う衣裳によって身分や知性を判断されてしまう時代の中で、「文芸意匠」である「御所解文様」が武家女性達に好まれたと言えるのかもしれません。

何故「御所解」と呼ばれるのか

武家の女性に好まれた「御所解文様」ですが、武家好みなのになぜ御所なのか不思議な感じがします。

明治5年頃、文久の改革によって領国に戻ることになった御殿女中は、小袖を古物商に売却し、その古物商が小袖の表地と裏地を「解い」て流通させたことから「御所解」という名称になったといわれています。

「御所解文様」と「江戸解文様」の認識の変化

公家女性が用いた小袖意匠の「江戸解文様」の紅色時の小袖

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この公家女性が用いた小袖意匠を見ていると、ぎをん齋藤の御所解の帯の献上花が思い浮かんだり、金沢の成巽閣に行きたくなりました。

大正中期の頃は、「御所解文様」=御所(京都)=公家、「江戸解文様」=江戸=武家、という認識が一般的でした。

この当時の公家の女性が用いた小袖意匠の「御所解文様」は、1つ1つのモチーフが大きく描かれた大らかな印象を与える表現が特徴になり、現在の「御所解文様」とは、異なる印象の意匠になります。

そして、その当時の「江戸解文様」と認識されていた意匠が、現在の「御所解文様」と言われている草花や樹木の風景がに御所車などの器物を配した表現の「文芸意匠」になります。

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大正中期頃は、

「御所解文様」=御所(京都)=公家

「江戸解文様」=江戸=武家

と認識されていたんだね。

大正中期頃では、「御所解文様」は公家女性の小袖意匠を意味しており、現在の「御所解文様」と言われている類型的な風景模様を「江戸解文様」と捉えられていたのですが、時代を経て原因は分からないまま、いつの間にか現在の「御所解文様」=「江戸解文様」=武家と認識されることになりました。

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時代の流れと共に、いつの間にか

「御所解文様」=「江戸解文様」=武家

と変化したんだね。

昭和54年には、「言葉と意匠に捻じれが生じている可能性がある」と上述の内容の誤認が示唆されました。

江戸解模様とは

「御所解文様」と「江戸解文様」の認識の変化を踏まえると、大正中期頃までは「江戸解文様」は現在の「御所解文様」の意匠を示します。

「江戸解文様」も「御所解文様」と同じ意匠と言うことになりますが、現在の感覚的な認識では、源氏物語を想起する王朝モチーフを取り入れた風景模様を「御所解文様」といい、謡曲を想起させ、流水を多用した風景模様を「江戸解文様」と呼ぶ傾向にあります。

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「御所解文様」は「源氏物語」

「江戸解文様」は「謡曲」

をイメージしたら分かりやすいですね。

茶屋辻文様とは

「茶屋辻」の紬のピンクがかった肌色の地色の小紋

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紬地に「茶屋辻」の型染の小紋です。

母が若い頃に、白生地を選んで好みの型で染めてもらったお誂えの着物です。

お誂えいいな~憧れるな~したいな~。

「茶屋辻」は「茶屋染」ともいいますが、名前の由来は不明です。

江戸時代の中級武士の女性が夏の正装に用いた、帷子(かたびら)の総模様の着物の模様をいい「茶屋辻」といいます。

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帷子(かたびら)は、麻地の単衣仕立の着物のことをいいます。

「茶屋辻」は本来、藍染を主とし部分的に薄い黄色のような色目を配したもので、水辺風景に草花や樹木、橋、家屋などを染め上げた精緻な文様をいいます。

「茶屋辻」も「御所解文様」と同じように風景模様を染め上げていますが、「茶屋辻」には「文芸意匠」がほとんど含まれていないところが大きな違いになります。

 

また「茶屋辻」とは別に、身分の高い武家女性や上位の御殿女中が着用した「本辻」と呼ばれるものもあり、夏物の「御所解文様」は「本辻」に含まれます。

「本辻」も「茶屋辻」と同じように藍染めですが、「茶屋辻」よりも色目が薄く、文様も「茶屋辻」よりもさっぱりしているといわれています。

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「本辻」の実物写真を見たことがないから、一度見てみたい着物です。

「御所解文様」の「文芸意匠」

現代の「御所解文様」の「文芸意匠」には「源氏物語」や「伊勢物語」が題材として好まれてきました。

「源氏物語」の「文芸意匠」

紅葉賀・・・紅葉,幔幕,大太鼓,鳥兜

花宴・・・檜扇

野分・・・秋草,虫籠

若菜・・・蹴鞠,柳

「伊勢物語」の「文芸意匠」

八つ橋・・・杜若,板橋

筒居筒・・・井桁,井筒,釣瓶

「江戸解文様」の「文芸意匠」

石橋・・・牡丹,獅子

菊慈童・・・菊,流水

鼓の滝・・・滝,鼓,桜

箙(えびら)・・・箙、梅

まとめ

*大正中期頃は、「御所解文様」=御所(京都)=公家,「江戸解文様」=江戸=武家

と認識されていた。

*時代の流れと共に、いつの間にか「御所解文様」=「江戸解文様」=武家と変化した。

「御所解文様」は「源氏物語」、「江戸解文様」は「謡曲」を「文芸意匠」の題材として用いられている。

 

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